なくなって初めて気づくラブクロスの大切さ
あの直木賞作家もびっくり 驚愕のラブクロス
ネックレス ジーザスクライスト ラブ クロス/SV
サイズ ・トップ:約12×20(金具含む)×厚さ1mm・チェーン長さ:約45cm 素材 SV(シルバー) 付属品 巾着袋ネックレス ジーザスクライスト ラブ ▲ アルファイオメガの模様が刻印されています。
ジーザスクライスト・ラブネックレス 開発者メッセージ イエス・キリストは約2000年前に実際に存在した人です。
そのイエス・キリストという意識は、肉体を持たない形でいまだにこの世界に存在しているようです。
それがわかったのは黙示録にあるイエス・キリストの言葉の力が起こす奇跡を体験したからです。
私はキリスト教徒ではないし聖書もまともに読んだことがありません。
しかし、黙示録にあるイエス・キリストが言ったとされる『私(イエス・キリスト)はαでありωである。
』という言葉だけは聞いたことがありました。
α(アルファ)は、はじまりを表す言葉です。
ω(オメガ)は終わりを表す言葉です。
この二つの言葉をクスリ絵にしてみたところ様々な症状や不快感を消す力があることを体験したのです。
しかし、ただそれだけならイエス・キリストという意識は、肉体を持たない形でいまだにこの世界に存在するとは言えません。
私が『私(イエス・キリスト)はαでありωである』という言葉の意味を考えていた時のことです。
この句はそのまま解釈すれば、私ははじまり(α)であり終わり(ω)であるという意味になります。
しかし、ここにはイエス・キリストが何のはじまりで何の終わりかということは書かれていません。
イエス・キリストは、神の子と言われます。
イエス・キリストは神と人間が一つになったものという意味です。
このことから推測すると『私はαでありωである』という言葉は、イエス・キリストは神と人とが一つになった最初のもの(はじまり)であり、最後のもの(終わり)であるという意味になります。
それではイエス・キリストだけが神性と人間性が一つになった神の子であり、その後の人類はすべて神性と人間性が一つにはなれないということになります。
この考え方はイエス・キリストを頂点としたピラミッド構造、ヒエラルキーをつくり上げてしまいます。
そこで、私はイエス・キリストに『私はαでありωである』という言葉の意味を直接聞いてみることにしました。
すると、目を閉じて10分ほどするとイエス・キリストから答えが返ってきたのです。
その答えは私が心から納得できるものでした。
イエス・キリストは『幼稚園児の遠足を想像してごらん。
幼稚園児の列の先頭にも最後尾にも幼稚園児を引率し守るために先生(引率者)がいるだろう。
幼稚園児とは人類のことである。
先頭と最後尾にいる先生(引率者)が私イエス・キリストである。
私は神性と人間性が融合できることを人類に身をもって教えた最初のものであり、すべての人類が一人残らず神性と人間性を融合するまでは最後まで見守り導くものであるという意味だよ。
』と言いました。
私はそれを聞いて、こんなにも愛に満ちた存在(イエス・キリスト)がいたことに感激しました。
自分を磔の刑にして殺し、又は見殺しにした人々の子孫を一人も残さず救済しようという絶対的な愛の力の強さを感じました。
私は、イエス・キリストを意味するαとωの間に無限の可能性を持つ人類の象徴として黄金比を表すφを入れてクスリ絵をつくりました。
このクスリ絵は、まさにイエス・キリストの愛のエネルギーを今も発しています。
私が『イエス・キリストという意識は、肉体を持たない形でいまだにこの世界に存在する』といったのはこういった理由からです。
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